最近発表のあった高見盛の引退。
ぼくはなんかスッキリしてて好きでしたね。
元々飾らないキャラクターと、その特異なパフォーマンスで、
話題になった相撲取りですが、
引き際にもサッパリとした「飾らない」キャラクターが、
にじみ出ているなぁと思いました。
この高見盛の引退について、
ベーシストの納浩一さんがtwitterで
とてもおもしろいことを書いてはりました。
高見盛引退。そのニュースを見て引退という引き際がある人はいいなと思いました。06年W杯のドイツ大会では中田の引退のその現場に居てそう思いました。昨年の松井も素敵な引き際。ミュージシャンにはそれがないだけについズルズル醜態を晒すことにもなりかねない。それだけは絶対避けたいものです。
— 納浩一さん (@osamubass) 2013年1月27日
いや、あれは引き際、いや、燃え尽き方の一つの種類かと。そして人生の悲劇的な幕引きは神格化の条件かもしれません。ジョン・レノンしかり、ジミ・ヘンしかり。いや、でもやっぱり、彼らの最期はどうあれ、やはり皆、神がかり的ですね。 @swingoperetta ジャコの最期は醜態?
— 納浩一さん (@osamubass) 2013年1月27日
自分の持ち合わせてない観点だったんで、
大変おもしろいツイートだなぁと思いました。
ミュージシャンの引き際…
『そして人生の悲劇的な幕引きは神格化の条件かもしれません。』
という一文は、まさに言い得て妙。
27歳で亡くなった多くのミュージシャンも、
「早すぎる死」という悲劇を持って神格化された部分はありやろし、
ジョンレノンなんかは、やっぱりその代名詞なんじゃないかと。
スポーツ選手の引き際たるや立派なものが多い気がしますが、
今回の高見盛同様に「肉体の限界」というのをチラホラ耳にしますね。
ミュージシャンでは聞いたことのないフレーズです。
音楽自体がそもそもあまり年齢に関係なくできるものだし、
なにを持って"引退"となるのかも、少し分かりづらいからですかね。
その反面でバンドの解散は度々ありますが、
「解散=引退」になるケースは稀で、
「再結成」というよく見る必殺技もあります。
第一線で活躍するミュージシャンは、
「死ぬまで現役!」というのが、多いのかもしれませんね。
そういうのもあって、突然の山口百恵の突然の寿退社的引退は、
今でも語られる美学になっているんでしょうね。
ミュージシャンも自ら引き際を作るというのも、
これからはおもしろいかもしれませんね。
(商業的な音楽なのか否かみたいなところも当然絡んでくるとは思いますが。)
ということで、いろいろ書こうと思ったけど、
結果、大変ペラペラな内容になってしまいましたw
ぼくはサラリーマンをしていますが、
引き際っていうのは一般的に"定年"でしょうか。
そんなに働きたくねぇ。
今すぐにでも引退したい…
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引き際って大切ですよね。
その人の人間性が出ますよね。
そうですね。
粘り強いと執着心が強いとか、
この辺りの線引きも微妙なところだし。
本人が納得した上で、サっと引退表明ができれば
一番良い形なのかもしれませんね。